「ゆみみみっくす」発売30周年メモリアルページ

「ゆみみみっくす」ディレクター兼プログラマー
(元ゲームアーツ) 岡部 博明

竹本泉先生原作のメガCD用ゲーム「ゆみみみっくす」が発売されて30年になります。
このページでは、「ゆみみみっくす」開発当初の思い出を書いてみたいと思います。
私は基本プログラマーなので技術的な話が中心になりますがご了承ください。あと、これは非公式な文章なので映像資料はありません。長い文章になりますが楽しんで頂ければ幸いです。

CD-ROMゲーム前夜

メガCDが出る前のゲームアーツでは、ソフトはほとんどフロッピーディスクで販売していました。
その容量の少なさは誰の目にも明らかで、当時ゲームアーツの社長だった宮路洋一氏も早くからCD-iに興味を示していました。
しかしCDになると今度は容量が大きすぎ、それまでのゲームとは全く別なコンテンツ作りが求められるとも予想していました。宮路洋一氏も当時、「大容量プログラムを作るのは大変だけど映像なら埋められる」と言っていました。
CD-ROM搭載のゲーム機としてはPCエンジンCD-ROM2がありましたが、RAM容量が少なすぎてゲームアーツでは参入を見送っています(宮路洋一氏は「CD-ROM2はランダムアクセスができなかったから参入しなかった」と言っていますがこれは間違いで、RAM容量的にストリーミング再生が不可能というのが正解です)。

CD-ROMならではの表現ができるゲーム機が出るのを待っている時、SEGAがメガCDの開発をしていると聞いた宮路洋一氏はSEGAに駆けつけ、RAM容量を6Mビットにさせてしまいます
こうして、ゲームアーツのCD-ROM時代が始まりました。

CD-ROMになることで容量の問題はとりあえず解決しますが、当時のテレビに画像を出力する関係で、縦方向の解像度は240ドットほどのまま。また、ビデオRAMとして使える容量も以前のままで、同時発色数は61色ほどしかありません。当時のCDの読み込みスピードから考えても、ストリーミングで出せる映像は16色が限界。
このことから逆算できるCD−ROMに使える映像とは、解像度が荒くても構わなくて、グラデーションを使っていないアニメ的な絵ということになります。

竹本泉先生とCD-ROMソフトという、奇跡の邂逅

CD-ROMソフトの作り方を模索していたそんな時に、「竹本泉先生を紹介できる」という話が「いー」さん経由で持ち込まれます。
丁度開発のタイミングが空いていた私がこの話に即座に飛びつきました。竹本泉先生の名前を聞いた瞬間に、CD-ROM映像の第一弾にベストな作家として頭の中でマッチングされたのです。
竹本泉先生はなぜ今までアニメ化がされなかったのが不思議な作家でしたので、まさに、時代が必要としていた出会いだったと思います。

そんな訳で、竹本泉先生原作のゲームは最初からCD−ROMで作る事が決まっていました。
宮路洋一氏は、私が竹本先生と会う前から「原画は全て竹本泉先生が描く」という合意まで取り付けていたほどです。ゲーム制作の方法が大きく変わる時代に、これから何をすべきかのイメージを明確に持っていたのでしょう。
ご存じの方も多いと思いますが、竹本泉先生は非常に筆が速く、そういう意味でもこのプロジェクトにピッタリでした。

CD−ROMの中身をアニメで埋めるという最も基本的かつ重要なコンセプトは宮路洋一氏のものですが、それ以降のジャッジはほとんど私がおこなっています。
例えば、メガCDではストリーミング再生も可能でしたが、ストリーミングで出せる絵は16色しかなく、またCD1枚で40分ほどの動画しか作れないことから、早々に選択肢から外しています。竹本泉先生の絵で16色しか出せないというのは、ちょっとあり得ないですね。
だから目指す表現は、背景の上に人物と口パクなどを重ね合わせて表示する、アニメと同様のやり方です。
しかも、アニメのセル画を読み込んでコンバートすると(竹本泉先生の絵では)綺麗な絵にならないと判断したので、全てをドット絵で作ることを決断します。
これは当時としてはなんとも常識外れなやり方ですが、CD−ROM時代にはそういうコンテンツが求められるはずだと確信していました。これをやらなければ置いて行かれるという感覚です。

そうは言っても、そんなに沢山のドット絵を作れるとは、私も思っていませんでした。
当初の思惑としては、絵のトータル枚数は2000枚ぐらいで、そのほとんどを口パクで使うという事を考えていました。口パクがほとんどだというのは、そんなに多くのドット絵を作れる訳ないだろうという当時の開発者を説得させるための言い訳でもありました。
でも口パクだけだと寂しいので、画像スクロールやスプライト(多くの場合、自キャラや敵キャラの表示に使う機能)での動きを多用することも考えていました。
その話を竹本泉先生にすると、竹本先生は「フリッキーが連れている小鳥みたいなものなら簡単に動かせる」と理解して頂いたようです。
これが「ゆみみみっくす」に出てくる「飛び跳ね虫」の原型になりました。
あとちなみに、ゆみみのツノから出る光線は「テグザー」をイメージしているそうです。

あと竹本泉先生へは、(解像度の関係で)細かい絵が表現できないので、例えばイヤリングなどの小物を使ったキャラデザインを避けて頂きたいこと。同時に出せる色数が少ないので、制服姿が多いと楽みたいなことをお話しました。
その当時の竹本泉先生はまだ少女漫画が中心で、ユーザーのほとんどが男性になると予想されている媒体へは初めて出る感じになります。竹本先生からは「男性向け要素を意識した方が良いですか?」みたいな事を聞かれたので、私からは「基本お色気は無しだけど、少しだけなら」と答えました。そうは言ったものの、実はドキドキしていましたね。

その他にも、竹本泉先生の好奇心とチャレンジ精神が、作品にかなり取り入れられています。
例えば、「選択肢に使う文字を竹本先生の手書き文字にしたい」という話をした時もすぐに対応して頂けました。 こういう、当初の案には入っていなかった追加作業が発生しても全く文句を言わないのは、後にも先にも竹本泉先生だけな気がします。
あまり知られていませんが、竹本先生の人柄の良さはトップクラスなのです。

MEGAANIM.x

さて、CD−ROMの中をドット絵で埋める事が決まったので、あとはいかに効率良くドット絵を作るかという方法論になります。
当時は、本当に1ドットづつ色を吟味しながらゲームのキャラクターなどを作っていた時代ですが、そのやり方ではとても2000枚の絵は描けません。そこで、専用のペイントソフトも開発することになりました。
名前を「MEGAANIM」と付けています。いま考えても安直な名前だったなーと思います。
30年前ですからまだ Windows-95 は出ておらず、このペイントソフトは X68000 で作られています。
それに X68000 だと、ハードウェアを操作することでメガドライブと似た縦横比が出せるのも魅力的でした。

アニメ用の動画用紙にテレビ枠が印刷された物があったので、そのテレビ枠の内側がメガドライブの縦横ドット数と同じになるようなスキャナプログラムも作りました。普通、スキャナはRGBの3色の光を当てて原稿を読み取りますが、MEGAANIMではRとBの2回だけ読み取って、それを白・黒・赤・青だけの絵に変換しています。こうすることで3割ほどの高速化になり、スキャン時のイライラが少しは解消されます。
スキャナにはアニメ用の「タップ」というものをテープで貼り付け、スキャンの度に絵が傾かないような工夫もしました。
ちなみに「動画用紙にテレビ枠が印刷された物」は初期はガイナ◎クス社のものを使っていましたが、あとで専務の「うー」さんがゲームアーツ用のものをわざわざ作ってくれました。ありがたや。

「MEGAANIM」では、ペイント漏れを防ぐアルゴリズムも開発しています。
普通のフォトショップとかのペイントでは1ドットでも隙間があると色が外に漏れてしまいます。いくらアンドゥがあるといってもわざわざ隙間を手で塞ぐのは面倒ですから、こういう細かい工夫は重要です。
これを実現したのは、世界的にかなり早かったのではないかと思います。

また、アニメを作るには絵だけではなく、その絵をどう重ねて何秒間表示させるかなどの指示を書く「タイムシート」というものも必要です。このタイムシートは、映画フィルム時代からの慣習により1秒間が24コマで作られていました。
テレビゲームは1秒間に60回画面を書き換えるので、秒間24コマではうまくいきません。
そこで、秒間30コマのタイムシートを作り、アニメーターの方に無理矢理慣れてもらいました。
そのタイムシートの指示を、MEGAANIM専用のスクリプト(テキスト)ファイルで書き直してもらい、これを機械が判断しやすいようなコードに変換してから動かすのです。
今でもノベルゲームなどのアニメ指示はスクリプターと呼ばれる人がやっていますが、その先駆けみたいなものですね。それまで誰も見たことが無い物を作っているので、何もかもが世界初みたいな技術でいっぱいです。


しかし実際にやってみると、当初思っていたよりかは簡単に絵を作れそうだという事が分かってきます。
最初は「ほとんど口パクだけで」と言っていた物が、どんどん動画枚数が増えていきます。
重ね合わせも多くできると分かってきて、タイムシートのセル欄が横に増えていきます。重ね合わせる1枚の絵を「セル」と呼んでいましたが、最初はこのセルが「背景+A〜D」の5枚だけの重ね合わせでした。それが「背景+A〜F」とかに増えていったのです。メガドライブは2重スクロール+スプライトの表示しかできないはずなのに、なぜか4重スクロールまでやるようになっていました。
そういう状況が竹本泉先生にも伝わり、先生の方でもどんどん激しい絵が増えていきます。
「ゆみみみっくす」をプレイすると、後の方になるにつれて動きが激しくなっていくのはそういう理由なのですね。

ゲームアーツ内部にはアニメ専用部署ができ、最大で10人くらいは仕事していたように記憶しています。
総動画枚数は最終的に7000枚にもなり、画像保存用の230MBのMOディスクを収納していた菓子箱が半分埋まりました。
どう考えても開発費用のかけ過ぎですが、宮路社長からのストップはかかりません。
将来にわたって使える技術のための投資だと考えていたのだと思います。
ありがたや。

そうして、歴史に残る作品へ

最初に、「CD−ROM時代には(その容量を使い切るような)コンテンツが求められるはずだと確信していた」と書きましたが、実際にはそうならなかったですね。

時代はすぐに3Dレンダリングへと向かいます。二次元のアニメ絵を描くよりは3Dを動かす方が楽ですから、まあ普通はそっちに行きますね。
しかしもちろん、竹本泉先生のように3Dは絶対に向かない作品も存在します。
私としては、二次元表現も絶対に残っていくはずと思っていました。
(少し後の時代の話になりますが、漫画やアニメの実写化や3D化では、成功している例の方が少ないですよね)。

そしてメガCDからわずか9年後には、DVDプレイヤー搭載のプレステ2が発売されます。
今度こそ映像をふんだんに使ったゲームが出てくるか!? …と思っても出て来ません。
ほとんどのメーカーは、開発費が高騰するのを恐れていたようですね。

妥協案として(?)、アニメと同時にゲームも作る、メディアミックスというものも出て来ました。
これは後に「IPもの」と呼ばれ、ゲームで手堅く利益を出しやすい手法のひとつになります。
が、それでもゲーム中に映像をインタラクティブに変化させるものはあまり出て来ません。
DVDも再生できるハードウェアなら色数とか解像度の制限が無く、メガCDと比べて動画作成の敷居は随分と低くなっているのに、やはり金銭的な面で踏み込めないのでしょう。
解像度が上がったら細かい絵も描けるようになりますが、逆に、細かい描き込みをしていないとユーザーに認めてもらいにくいという状況もあるのかもしれません。


そんな訳で、動画やアニメを操作できるゲームというのは、メガCDとサターンだけで終わってしまった感があります。
そういう作品の中でも「ゆみみみっくす」と「だいなあいらん」の動画枚数は圧倒的です。たぶん、レーザーディスクを使ったゲームよりも多いはず。
これを超える作品は、たぶん、もう出ないのでしょう。
そんな希少な時代を「ゆみみみっくす」の制作と共に過ごせたのは本当に幸運でした。


竹本泉先生、声優の方々、高橋由美子さんの曲の使用を快諾してくれたビクターさん、音楽を作ってくれたメカノアソシエーツさん、そして、いろんな無茶をしてくれた開発スタッフに本当に感謝します。
我々は自分自身も楽しんで、結果的ですけどギネス級の作品を作りました。

振り返ってみれば、実験的な作品だったと言えるのかもしれません。
でも単なる自己満足ではなく、ちゃんとユーザー様に評価して頂けたのは、最終的なビジョンを明確にイメージしていたことと、やはり竹本泉先生が持つ力量が大きかったのだと思います。

この場をお借りして、「ゆみみみっくす」を盛り上げてくださったユーザーの皆様にお礼申し上げます。
ささやかなお礼ですが、竹本泉先生から特別寄稿して頂いたイラストをご覧下さい。

「ゆみみみっくす」発売30年記念

「白黒で、簡単なイラストで結構です」と頼んでおいたのにこんなゴージャスな絵を送ってくる竹本泉先生は、控えめに言って神です。
まいりました。

2023.1.29
文責:岡部 博明

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